茨城 履修不足高校の校長が首つり自殺
なんだか、最近自殺のニュース多すぎる感じがしますね…
未履修があったのは事実だし、おそらくは、それが引き金となった自殺と思われるのですが…
まず、ご冥福をお祈りします…
この事件に関しては、詳細な情報が無いのでまだ詳しい感想の持ちようも無いのですが、上記の事件も含めて自殺に関して個人的意見を書きます
おそらく、駄文・長文になりますので、お気に召さない方はいらっしゃるでしょうね…
自殺…それしか選択の余地が無かった…と言う方もいらっしゃるのかもしれませんが、今の自分の考えでは自殺=逃避行動と捉えています
その行為自体を、良い・悪いと決め付けるのはどうかとも思いますが、どちらかと言えば良くない≒悪いと感じています
死んで何になるの?
楽になる?冗談じゃない…逃げてるだけで何の解決にもなっていない
生きてるからこそ苦しいし、楽しいし、つらいし、嬉しいんです
自分の弱い所や汚い所をまざまざと見せ付けられることもありますし、本当に自分の力ではどうしようもないと感じることもあるかもしれません
でも、死んでも何にもならないんですよ…
生きて、生きてるからこそ、何かが起こるんですよ、できるんですよ
悪いこと、嫌なこと、悲しいこと、つらいことを経験した人は、人にやさしくすることができます
自分がされて嫌なことはわかっていますからね…
いじめをした人に対して、あてつけで相手が責任を感じるように、死ぬのを選択するならやめた方がいいですよ
自分の遺骸が入ってる棺桶覗いて笑う常識の無い人間も存在するようです
やるだけ無駄です
逆に相手を喜ばせるだけかもしれない…
それなら、相手を見返してやればいい
同じ土俵で無理なら、違った土俵で勝負すればいい
全てにおいて完璧な人間なんて、少なくとも自分は見たことが無い
相手より自分が優れているとこを見つけるのは意外に簡単なことですよ…
勝負する気もないなら、その相手と違う世界に行くのもひとつの方法ですけど
根本の解決にはならない気もします…
少なくとも(している側がそう感じていなくても)いじめをしている人間はお馬鹿でかわいそうな人なんですよ
自分より弱いと思っている相手にしか強く出られないわけですからね…
いじめることで相手にしてもらっていると感じるからこそそういう行動をとるわけで、相手にされなかったり、リアクションが無ければそういう行動をとることも段々無くなっていくかもしれません
自分は孤独だと思って自殺をする気ならやめた方がいいですよ
もしかしたら、明日にでも運命の人に会えるかもれない
それが、将来の伴侶かもしれないし、師事できる尊敬できる人かもしれない
まだ、生きることができるのなら、その可能性を捨てるのはもったいない…
お金が無いから、借金があるから自殺をする気ならやめた方がいいですよ
今の日本では、弱者に対する法律が完全とはいえないのかもしれませんが、かなりあります
自分がお金を借りた人はその責任をとれる範囲でとらなければならないでしょうが、それでも死ぬよりずっとましです
死んで返そうなんて本末転倒です
生きているからこそ出会える喜びもあります…
自分のしたことに対して弁明の余地もないと死を選ぶつもりならやめたほうがいいですよ
責任逃れの何物でもないですから…
死を選ぶ行為が、残された人間にとってどういうものになるか、一瞬でもいいから立ち止まって考えてみてください
上と同じようなことではありますが、自分の責任のとれる範囲で精一杯努力をすることで、結果が出ることもありますから…
何もすることが無い、生きる気力がなくなったから自殺しようなんてことを考えている人がいたらやめたほうがいいですよ
生きる気力なんてものより、死のうとすることの方がずっと力がいるんです
死のうと思えるのなら、何か他の人にはできないすごいことができるかもしれない…
かといって、できなくったてそれはそれで良いんです
何かしら行動を起こせるっていうのは生きていればこそなんですから…
本当は、まだまだ書きたいんですが、今日はこの辺でやめておきます…
別に自分は人格者を気取るわけでも、宗教家でもありません
ただの普通の人間です(若干世の中にスレているかもしれませんが…)
今日、今を生きることができない人もいるのに、自らその命を絶つのに賛成できないと言ってるまでです
生きるってことは可能性なんです
無限の可能性ではなく、有限の可能性なんです
死ぬ気があるなら、最後まで足掻いてみてください
この下に書く文章は、自分の中に強く残っている言葉のうちの二つです
新井素子さんの小説【通りすがりのレィディ】に出てくるものです
全然シュチュエーション的には違う場面で使われていますが、通じる所もあると思うんで引用します
・誰が従容として運命に従ってやるものか
・我、ことにおいて後悔せず
この言葉、出展は別にあるんですが、この新井さんの本で知りましたので、自分の中では【通りすがりのレィディ】が出展のようなものです
本当に、よく考えてかみ締めるほどに、難しく、厳しい言葉ですが、ひとつの支えになるならば…と思いましたので…
「生きる権利があるのなら、死ぬ権利もあるはずだ」という論理も成立するのかもしれませんが、自分の中では賛成できないですね…
生きることができなくなった人間や、生きたかったけれどできなかった人間が、この年齢になると周りに何人か出てきますので、そういう考え方に否定的な感情を持つのかもしれませんが…
本当なら、自分で命を絶った今いない友人に伝えたかった言葉でもあります…