うちのじいちゃんの件

 えぇ〜、先ほど(小一時間ほど前に)連絡があり、亡くなったようです…
 年齢的には大往生といって差し支えないのではないかと、自分は思っています

 んで、今日の動きはといえば、一旦店により、状況を話して、じいちゃんの入院している病院へ向かいました
 途中までは見知った道だったのですが、最後の15分ほどの区間が全くわからず難儀しました…
 しかし、どうにかたどり着き、意識はないものの、まだ生きているじいちゃんに対面は出来ました
 一応、山は越えたとのことだったんで、意識はないですが2〜3日は持つかなと思っていたんですよ、実の所…

 病院では、姉の結婚式以来に会う叔父夫婦、そして従妹にも会えました
 従妹に至っては、約20年ぶりくらいではないでしょうかね…
 
 ま、その全ての責任は自分にあるわけですが
(−−;
 高校入学して以来、実にまともに田舎へ行かなくなっていた自分がおりました
 高校時点では、ほとんど休みがない学校だった為、大学入学〜現会社への入社前の間は遊び呆けており、入社以来はまともに休みもないのですが、それ以前に約2年前まで普通免許を持っておらず、簡単にはいくことの出来ない距離でもあったためです

 唯一の救いは、自分の姉夫婦が、甥っ子を連れて何回か、元気な内のじいちゃんに合いに行ってくれていた事でしょうね…
 ひ孫の顔を見ることができたのですから、コレはこれで、自分の力は全く絡んでいませんが、良かったなぁと思っています

 そんなこんなで、田舎の家に立ち寄ったあと、母親・姉家族は田舎の家の掃除をするということでしばらく居残り、自分は店へ戻りました

 母親・姉家族が田舎の家を出たあたりで、訃報が叔父より母親に入り、自分には姉より連絡が入りました

 とりあえず、母親組は一旦鹿児島に帰り、とんぼ返りで田舎まで行くとのこと…
 自分は、夜中であっても一旦鹿児島の実家に戻り、服などを積み込んで小林に戻り、明日の朝一は仕事を形になるまでしてから、昼ごろ田舎の家に向かおうと思っています
 明日は、友引で通夜が出来ないでしょうからな…
 更に言えば、自分は今回に関しては直の孫ですが、叔父が取り仕切る葬儀一切に関して口を出すのは筋が違うと思うので、出来るだけ目立たないようにしたいと思っています

 自分の親父の時は、何がなんだかわからない内に全てが過ぎ去っていった感がありましたが…
 これは、小学校以来の友人の一人が当時、葬儀屋さんに勤めていてくれたおかげで、ほとんどお任せに出来たおかげです
 本当に今でも感謝ですね
m(_ _)m

 さて、店のほうでも、ほぼ同時刻に変圧器がショートして店に戻らざるを得なくなったり、色々とあって行動も気持ちの上でもドタバタジタバタしている感がありますが、ゆ〜っくりとした気持ちを持って(持てるだけね…)運転しようかと思っています

 家にいても落ち着けるもんでもないし、田舎に行ってもすることは恐らくないでしょうから、こういうときは、一人独立愚連隊のごとく式次第が始まるまで気ままに動こうと思います…