言葉遊び

 若干自分の感情をいろいろな意味で整理することも含めて『言葉遊び』をしてみようと思う
 中途半端な小論文のような文章になるだろうから、色変えときますかね
 



日本人の愛国心について今回の北京五輪聖火リレーをきっかけに考えてみる

 人間は社会的動物であると誰かが言っているが、その社会の構成要素の最小単位は個人となると思う
 その個人が集まり『ムラ』になって『クニ』となるわけだ
 その集団の呼び方は違えど、その共同体に対する感情はどういう風に分類できるのだろうか?
 
 『クニ』に対しての愛情を表現する言葉に愛国心という言葉がある 

 愛国心と言うものは、人という最小単位で考える部分は同じなのだろうが、社会共同体としての愛国心なのか、政治共同体としての愛国心なのかで考え方が違ってくると思う

 ただ、この2極化した考え方もかなり暴論となりうるので誤解を招くことがあると思うが…大枠としてはこの2極で分類できるだろう
 
 社会共同体と言ってもいまいちピンときにくいのだが、育った地域や自然、同時代を生きる同一地域の人間、自分が存在することができた結果を生んでくれた過去生きた先人、色々含めて感謝という感情を基にして生まれるのがひとつの社会共同体としての愛国心であろうと思う

 故郷を愛す、とでもいうべき感情かもしれない

 対して、政治的愛国心というものは、政治的意図を持った影響力のある人間が、当人達にとって都合のいい宣伝や教育を施し、政治的区画の『国や地域』に属する他の人間を自分の意図する方向へ誘導するもののように感じている

 政治的プロパガンダの結果、と言い換えてもいいかもしれない

 
 ここで、今回の北京五輪聖火リレーを一例として採り上げてみたい

 今回の各国での中国人の方々および支持者の方々の聖火リレーにおける行為はこの社会的・政治的両側面を兼ね備えてはいると思う
 ひとつは、祖国を愛するという感情
 ひとつは、政治主導の愛国主義・愛国教育の結果

 そういう意味では、聖火リレーで沿道にいらっしゃた中国人の方々および支持者の方々は愛国者といえるのかもしれない

 ただ、その行為に対して、アテネのときと同じように聖火リレーを開催した他国の国民はどう受け取ったのだろうか?

 いわゆる中華民族主義の方々には難解なのかもしれないが、違和感と反感を覚えた人間が多かったのではないだろうか?


 今回は、五輪開催という注目度抜群のイベントを控え、国際的に政治や経済の目だけでなく、一般の目も含めて中国とはどういう国なのかという注目をされてしまった
 『平和の祭典』をする国であり、4年に1度の国際的スポーツの祭典なのだから当たり前といえば当たり前の事

 注目されても問題ない国が五輪を開催することにより、政治とスポーツを切り離すことが出来る


 しかし、チベット問題を筆頭に東トルキスタンウイグルなどの自治区における弾圧の問題、法論功の問題、環境破壊の問題など多数の問題に関して、注目を集め、国際世論の大勢がNOという意思を伝える羽目になってしまった
 
 各国の政治的側面や、各国報道機関の取り上げ方の問題点もあるわけですが、あまり好ましくないという方々を含めれば、国際世論の大勢を占めたといっても過言ではないだろう

 その中で行われた五輪聖火リレー

 その時、中国人留学生をはじめとする、各国に在住する方々や、動員された方々がどういう行動をとったのか、もしくはとらされたのかといえば、ネットをご利用の方々はご存知の通り

 この大団旗のような五星紅旗を含めた赤い旗一面の沿道の風景を見て喜んでいるのは誰だろう?

 政治的愛国心を基準に考えるならば中国の方々や中国を支持する方々は喜ばしかったかもしれない
 しかし、社会的愛国心を基準に考えるならば、まったく別になってしまう

 自国内だけで聖火リレーをするのだったらありだったのかもしれないが、今回開催した他国の沿道まで赤い旗で埋め尽くすということは、その他国の人間の社会的愛国心を悪い意味で揺さぶる行為だったといわざるをえない

 ここで冷静に考えて欲しい

 もし、日本やアメリカ、オーストラリアでもドイツでもイギリスでも、フランスでも構わない、どこかの国が五輪開催をすることになって、今回と同様に聖火リレーが中国国内で行われると仮定する

 ま、できるできないは仮定の話である

 その時に、その開催国の人間もしくはその支持者によって、沿道が今回と同じような状況で開催国の旗で埋め尽くされたら、中国に現在お住まいの方々はどういう感情を持つだろうか?

 極僅かな想像力を持ってすればわかっていただけると思うのだが…


 少し話がずれるが、今回の北京五輪のスローガン「One World, One Dream(同一个世界 同一个梦想)(ひとつの世界、ひとつの夢)」

 言葉だけなら平和問題・人権問題も含めてすばらしい言葉に聞こえる

 ただ、コレまでの至近の人権侵害を含めた政策や中華人民共和国が出来てからの五輪に対する姿勢、今回の五輪聖火リレーでの一連の行動や、一部であるかもしれないが常識を外れた行為、そして、儒教主体ではない中華思想中華民族主義や、現在行われている愛国教育をリンクさせて考えると世界に対する宣戦布告のような想像も掻き立てられる

 これは行き過ぎた考えだろうが、限りなく近い考え方で40代より若い日本人にわかりやすい言葉で表現するならば、ジャイアニズムに行き着くような気が個人的にはしている
 『お前の物は俺のもの、俺の物は俺の物』ってやつだ


 リレー走者が走っている沿道に、その国の国旗も五輪の旗も無く、ただ赤い旗が振られているように感じるあの異空間では「One World, One Dream(同一个世界 同一个梦想)(ひとつの世界、ひとつの夢)」コレ自体も中国の所有物として主張しているように見られても仕方ない振る舞いだった


 そういえば、この愛国心の高まりゆえに、ダライ・ラマとの対話路線を選択しようとしている中国政府への批判も出てきているようだ

参考 ダライ・ラマ、中国政府からの対話の申し出を歓迎 ロイター
参考 中国政府、対話承諾も依然ダライ・ラマを批判  ヴォイス・オブ・インディア


 この対話路線への変更自体も対話といいつつ批判し続けている態度を見ると、表面的なものであるように自分は感じているのだが、それを素直に信じることが出来る純粋さ…コレだけひねくれてしまった自分から見ると、うらやましい限りだ
 自国民をうまくコントロールできているうちはいいのだろうが、そうでなくなったとき、北京政府はどう対処するのだろう?
 また、韓国での暴力事件に関して、またもやチベット独立支持派を悪人に仕立て上げ、それを利用して正当化しようとするなどという行為をしている 
 それぞれにそれぞれの主義主張があって、それを認めた上で、対話をするのが理想であり、その上で、他国も納得できる状況で、自国の利益を守るのが現在の政治的手腕・外交的手腕の見せ所なんじゃないかと思うわけだが…
 ま、それを言ったら、日本の政府はどうなのか?という日本人としては痛いところもあるが、あくまでここはnecloの個人的主張なのでそこは流しておく
 別の機会を持ってここに関する意見を書くこともあると思う

参考 聖火リレー:暴力事件を中国政府が擁護 朝鮮日報

 韓国に対する謝罪に関しても、『中国人留学生との摩擦について、中国は韓国の警察官や記者が負傷したことにお見舞いの意を表明する』といっておきながら、『正義感ある学生が聖火の尊厳を守った彼らの本意は正しかったが、一部の行為は過激で感情的すぎた』って、具体的な被害が出たことに関して謝罪の意を表すべきなのはわかっているが、一方的に謝罪すると自国民から弱腰だ何だと火の手の向きが政府に来るとわかっているから、落とし所を見極め切れないという部分が見え隠れしているように読み取ってしまう自分はやはりひねくれ者なのだろう


 さて、現在進行形の、極端な人権侵害に関しては中国に限らず、他の国々も含めて非難の対象となっている
 ほとんどの場合、その国の内政問題の一言で片付けてきてるが、今回の中国の対応次第ではそれで済まされなくなってきているような気がしてならない 
 ここの所、アメリカがこの問題に関してやけにおとなしいのも気になる
 そろそろ軍産複合体も大きい戦争を欲している時期に来ていると思うので、いらぬ勘繰りをしてしまいがちになる
 ただ単に次期大統領選挙があるために他国のことに関しては出来るだけ静観していたいだけなのかもしれないが…

 少なくとも、今の自分は戦争など求めていないし、今後もそうだろう
 しかし、日本人特有の事なかれ主義もそろそろ卒業して欲しいのも事実

 どこかの国のトップが言った『相手がいやがることをあえてする必要はないだろう』というのは止めた方がいいと思う
 相手が嫌がることでも正論ならば伝えてあげることも友好の証である
 どの国に対してもだ

 蛇足だが、この発言に良く似た言葉をネットで見つけた

 2006年8月4日の王毅駐日中国大使の発言
 「隣人が一番嫌がることを控えめにするのが東洋人の伝統だ」

 主体をぼかすことで、この発言はどうとでもとれる内容なのだが、某国首相殿はコレを引用したつもりなのかもしれないが、今回の場合は行動の主体がはっきりしすぎているため対中国はともかくとして、それ以外に関してはあまりいい感触は得られなかったなぁと個人的に思う

 こういった方々を政治的中枢に持っている国民は現在、政治離れを起こしているわけだ
 その中で主権者たる国民の義務を果たさない≒選挙に行かないようになってくるわけで、そうすると、組織票を持つ人間が当選し国政に携わることになるわけで…
 悪循環になっていると思う

 ま、自己中心的にのみ政治をしてらっしゃる方だけではなのだろうが…
 国の借金という言い方を平気でメディアもするが、結局主権者は国民なわけで、国のしていることが他人事であり、親方日の丸的な仕事をする公務員の面子の姿勢もあるだろうが、お上が何かしてくれる的な江戸時代以前から変わらない国民意識も変えていかねばいけないだろう
 政治はわからない、政治とは無関係と思考停止をする国民の多い日本としては、この先何年日本国が存続するかという危機に直面しているはずなのだが、目を背けている現状…
 本当に必要なら税金も上げていいと個人的には思う
 ただ、今までのミスを認めないからうそにうそを塗る羽目になったり、既得権益を守るために動いたりと信用ならないことが多すぎる
 このままいくと政治的愛国心は本当になくなってしまう可能性があるのかもしれない

 そうなると過激な連中も出てくるだろうし、望まないことも起こりうるかもしれない
 だからこそ、くさい物には蓋をする思考パターンを少なくとも政治家と警察はやめて、正面から向き合って欲しい
 
 政治の中枢以外でも政治的プロパガンダをする方々もいる
 漢字の書かれたマイクロバスで拡声器を使い自己主張されている方々…どう見てもマイナスイメージしか沸かないのだが、何を目的としてやっているのだろう?
 裏の事情を勘ぐってみたくはなるが、身の危険も感じるので深入りはしないようにしておく
(−−;

 さて、ここで、聖火リレーに話を戻してみる
 あの沿道の旗を見て、「異常だ」「不快だ」「違和感がある」などのマイナス的感想がブログにもニュース記事にも踊っており、多数の国民感情としては、よろしくなかった

 そういう意味合いで、今回の件を例に考えると、現在、日本人に愛国心というものがあるならば、政治的共同体というよりも社会的共同体としての愛国心の方が強いのかなと思うにいたる…あくまで個人的主観だが



 野山を愛し、祖先を敬い、家族を大事にする

 昔の日本人が大事にしていたこと

 これが日本人の愛国心なんじゃないかと思う

 
 すこし考えが飛ぶかもしれないが、だからこそ、自分は住んでいない地域だけれども、長野という日本国内で、好き勝手にやっているあの赤い旗を見て不快感を覚えた人間が多数いたんだろう
 そう考えると、まだ、日本も捨てたもんじゃないのかもしれない


 長文の上に、あっち行ったりこっちに来たりと、内容も飛び飛びでひどい物になってしまった気はするけれど、今の自分の思っていることを書き出せたかな…と思うわけです
 
 自分ひとりであーでもないこーでもないと文章をつむいでいくこの時間が、最近いい脳の運動になっている気がします
 独りよがりの意見に陥らないよう、今後も情報収集しつつ、出来るだけ流されないよう気をつけるとしますかね